宇崎ちゃん献血ポスター問題にみられる視点の欠如

結論から言おう。
より売れるから等々、それが性的に受け取られることを期待した表現なら、セクハラのそしりは免れえない。

 

一方は言う。表現の自由であり、圧力や規制はブルカ強制社会に繋がると。
一方は言う。女性を性的に消費する環境型セクハラだと。
一方は言う。単なるオタクフォビアだと。

 

いずれも一面では正しい。
つまり、適した文脈、適した前置きがあればそれぞれに正しいのだ。

件のポスターに限定した現実としては「秋葉原献血ビルに数枚あった程度」らしいので、ゾーニングやレーティング的な観点でも、モラル内に収まっていたと感じる。
と同時に、そこから広がった論争、言論には共通した欠如がみられた。

 

それは「送り手の意図」と言う視点。

 

たとえば、医学書や一部の食材は、性的と除外されてしかるべき表現物なのか?
「送り手の意図」を視点とした答えは、
冒頭どおり、性的に受けられてることを期待して表現したのならアウト足りうる、だ。


「性的な意味でナスと桃の絵文字を使用すること」をFacebookInstagramが禁止へ
https://gigazine.net/news/20191101-facebook-instagram-ban-eggplant-peach-emoji/
これもしかり。

 

おそらく今後は、国内でも「送り手の意図」がより重視されていくだろう。

ガスパッチョのプリケツが淘汰されるのも遠くない。