LGBT寛容政策とオタク文化町おこし

一部に強く嫌がられる性質は、
客商売にはアリだが、住民の福祉には必ずしも直結しない。

町おこしで何かしたいのか。
嫌がる人を押し切るに足るタダシサはそこにあるのか。

克服すべき感情

LGBTに対する寛容政策は、タダシサの追及。

本能的な嫌悪を、障害や病気に対して感じてしまった経験がある。
これらは概ね、人としてのタダシサからはかけ離れた、生物的な反応に過ぎない。
実際、ちょっと慣れるだけで歪な感情も消えてなくなることが多い。

中には生理的になかなか慣れないものもあるが、
決して感情のままに虐げてよいものではなく、
人としてのタダシサ軸に照らせば、克服すべき方向に並ぶことも少なくない。

一方、オタク文化町おこしはどうか。

オタク文化をとりまく環境には、
性的弱者や倒錯者、自閉症に対する差別の内包が見て取れる。
オタク文化を嫌う源流ともなるそれらへの忌避もまた、
人として克服すべき感情だろう。

 

未だ克服すべき段階にない感情

だが、中には「未だ克服すべき段階にない」ものもある。

その筆頭が、性描写。

LGBTの議論は、

定義上、性について深く語らざるを得ない。
だがそれは議論であって、発露ではなく、
必ずしも描写そのものを必要とはしない。

逆に、露骨な性描写は忌避されてしかるべきだろう。

オタク文化町おこしは?

性的アピールがなければ成り立たないコンテンツならば、
文化をとりまく差別構造とは別に、
コンテンツの性描写自体が忌避されてしかるべきだ。

逆に「未だ克服すべき段階にない」感覚を刺激する描写が含まれていないならば、
胸を張るべきだろう(他意なし)。

はたして、

その「押し切り」に、タダシサはあるやいなや。