「ゼロベース思考」だけではおそらく足りない

ちきりん等々、
ゼロベース思考という言葉をよく耳にしますが、
そもそも論や、1,2,3歩戻っての再構築、
もしくは脱構築とどう違うのでしょうかね。

単なるコンサル用語なんでしょうか。
用語か比喩にせよ、
どの辺をゼロとしたいのかは気になります。

深いところからの再考察は素晴らしいし有用な手段でもあります。
同時に、言葉があり、無意識に根付いた文化や習慣があり、立場があり、
さまざまな階層が「そもそもの位置」=「ゼロの足場」となりえます。

足場が違えば、例えばそれは、
マクロの組み直しやコード最適化であったり、
ライブラリの見直し、新言語の習得、
さては、新言語の創造だったりするかもしれません。

つまり「ゼロペース思考」は手段の一つに過ぎず、
その仮定で、
「新しい概念を発見」することこそが目的なのではないかと。

そして、その新しい概念をもって、
ローカルミニマム打破を試み、より深みに至らんみたいな。

なんと言いますか、
その辺に、できれば体系的につなげていければ、
各思考の重さもかなり変わるかなみたいなみたいな。