無神論者が信用されないプロトコルはSNSで変わるか
「誓い」プロトコルは、信頼関係の構築を短縮する
- 嘘を付かない
- 約束は守る
この2件を「信頼」の中身だと仮定したとき、
互いの信頼は、あらゆる活動を左右する大きな要素で、
おそらく、あればあるほど取り引きコストを下げるすばらしいものです。
現実の取り引きやいさかいでは「嘘ではない根拠」が存在しないことはいくらでもあり、
また、どこにでも、だれにでも「初めて」があります。
信用を構築する手段はいろいろ考えられますが、とりあえず、
「神に誓える」相手は信用しやすい。
ただし、大前提として「神を敬い恐れる」心理が刷り込まれていなくてはなりません。
つまり、
- 敬虔な信者が
- 誓いを立てた
そりゃ、まぁそれなりに信じてやっても良いよね。
すくなくとも、そうでないよりは信頼関係構築のプロセスは短縮できるよね。
というのが「敬虔」な連中のプロトコルなのでしょう。
特殊なプロトコルは、極端な場合に有用か
アメリカではクレカの履歴が大変重視されているとか。
支払を誓っても、金も家も貸してもらえないようで、
誓いだけでは世間は渡らせてもらえないのですね。
まぁ、当然ですよね。
金銭的に損をしたくなければ、履歴や状況を重視せざるを得ません。
では、誓いプロトコルは不要なのか!?
- 論理的に判断できる要素が少ない、最初の最初、カンの世界
- 論理的に証明のしようがない、最後の最後、決断の世界
そんな極端な状況で重さを増すが件のプロトコルなのかもしれません。
「普段の行い」プロトコルだ、おそらく我々は
我々というか私。
いわゆる無神論者に分類されるだろう私のソレはなにか、
信頼関係構築の担保、誠実さを計る方法はなにか。
ビジネスでは、じっくり考えるなり、
それなりのコストをかけて!?しっかり計算しますが、
身の回りの些細なできごとに用いる簡易プロトコルの判断基準は、
「普段の行い」でしょうか。
お天道様じゃありませんが、私もみているのです。
- 普段から、嘘を付いていないか
- 普段から、約束を守っているか
信じようが誓おうが関係ありません。
結果から判断する方法です。
クレカ履歴の簡易版とも言えるかもしれません。
このプロトコルには大きな弱点がありますよね。
そう。
「普段の行い」を知らない相手は計れない!
「評判」プロトコルを再構築する時代
信用できない=嫌い ではありません。
信用できないなりの関係しか持てなくて残念なだけです。
しかし、残念ながらも、判断して進まなければならないなら、
それなりに信用できる人が見た「普段の行い」を、
間接的に取り込んだりするのではないでしょうか。
「普段の行い」プロトコルを薄めて広げたようなこれは、使い勝手こそ良いのですが、
風潮に流されやすい等々、デマに繋がる、成極化する……などなど、
弱点も山の様にあります。
ゴキッとした誓いプロトコルと、
ぬめっとした評判プロトコルは、
対極なのかもしれません。
……一周して同じ位置にあるようにも見えますけどね。
SNSが信頼プロトコルを変える!?
SNSが進化すれば、
・「普段の行い」もより多く知ることができる!?
・「評判」の確度も上げられる!?
現状、そうなっているとはまだまだ言えません。
また、ネット上の人格と、実際に関係する際の人格との差異に戸惑うこともあるかもしれません。
見られる履歴は単純に増え続けそうですし、(個人認証機関を核に自己情報制御システムを法的な~~なSF方向にも可能性を感じる)
SNSが、
ただの「相互作用加速器」ではなく、
相互作用を「使える方向にコントロール」して更なる価値を生み出せるなら、
きっと、ショリッっとした「新」プロトコルが生まれることでしょう。
タイトル的には、
そうですね。
新プロトコルは生まれそう。
でも「誓い」プロトコルは並存できるので、
やっぱ、微妙に信用されないままなんじゃないかな\(^o^)/なんだよそれ